2018年11月3日(土) 4(日)、初の土日両日開催で「国際ガチ甲冑合戦 in 三重」と題し、
11/3は、伊勢・安土桃山城下街を舞台に、第一次川中島の戦いを想定した「砦攻め」
11/4は、志摩スペイン村を舞台に、第四次川中島の戦いを想定した平地戦を行いました。
当会の横山総師範による合戦リポートを掲載します。
「国際ガチ甲冑合戦 in 三重」
主催:国際武術文化連盟/日本甲冑合戦之会(ガチ甲冑合戦)
後援:三重県
協賛:近畿日本鉄道株式会社/株式会社JTB
協力:伊勢・安土桃山城下街/志摩スペイン村
11月3日、伊勢・安土桃山城下街 の2層目の砦に、上杉軍と武田軍に分かれた約100名余りの武将たちが集結。
フランスから来日した武術家の南蛮兵たちも参戦した。
有難いことに全国各地から多数の応募があり、抽選で選ばれた将兵のうち約3割が女性であった。
南蛮兵を含む将兵たちには、合戦飯と称した、竹の皮に包まれたオニギリ(麹味噌ぬり)と沢庵、味噌佃煮などを提供した。
前回、清洲城での合戦飯もそうだったのだが、予めお願いしておいた箸や手拭きが今回も届いていない。
こうなると、全員手づかみで食べるしかない。
佃煮は指を突っ込み、指をしゃぶる。まさに戦国時代だ。
今回の合戦飯は、合戦舞台となった伊勢・安土桃山城下街に調理と手配をお願いした。
割り箸や手拭きの手配もお願いしていたが、やはり戦国というイメージがあってか、当時存在しなかった割り箸や手拭きを一緒に用意する気にならなかったのだろう。人間の思い込みとは、こうしたものかも知れない。
味の評判は良かっただけに、その点は次回への課題となった。
今回は第一次川中島の合戦をテーマに、
砦を攻め落とすには何倍もの兵力が要るという定説は、常に正しいのかを検証しようという一面もある。
報道関係者たちがカメラを構える中、合戦はまず上杉軍の出陣から始まり、上杉軍が砦前に布陣。
砦は荒砥城(あらとじょう)の一角をイメージして制作されたセットだ。荒砥城は当時の山城で、むしろ砦と呼ぶような存在だ。
まず上杉軍の鉄砲隊が仕掛け、双方の鉄砲合わせ、弓合わせで火ぶたが切られた。
弓戦では双方互角。そして長槍隊を2隊に分けた上杉軍は第1隊を突撃させた。
押しては引く波状攻撃を3回加えて武田軍の防壁を壊そうとした。武田軍の砦の馬出し口あたりが、崩れ出した。
上杉軍は第2隊に魚鱗陣の密集隊形をとらせ、砦の馬出し口めがけて突撃。これも3回の波状攻撃を行い、武田軍の馬出し口が崩れた。
しかし武田軍も黙ってはおらず、槍足軽隊が上杉軍の陣に突撃。
前面に並べた置楯を打ち倒し、上杉軍の置楯による防御を無効化しようと試みた。
さすがに防壁を持たない上杉軍は、多くの置楯を倒され苦戦した。しかし、上杉軍の足軽たちは、置楯を即座に普及させて防御を固めた。
そこで武田軍は精鋭の武将隊(ガチ武者)を押し出し、上杉軍への突入を試みる。
これを阻止すべく、上杉軍も精鋭の武将隊(ガチ武者)を出した。
武将隊同士の乱戦がしばらく続き、一進一退の状況となった。
そうする内に上杉の南蛮兵の組頭がノックアウトされ、上杉軍は陣に引くことを余儀なくされる。武田軍も、これ以上の消耗を避けるため砦へ戻った。
しばらくにらみ合いが続くが、武田軍から武田信玄と名乗る者と山本勘助(役のガチ武者)が砦の外に出て何やら叫び出した。
どうみても武田信玄には見えず、ただ滑稽な影武者の言を聞く気になれなかった 柿崎景家(横山)は、この影武者に矢を放ち右胸に命中。影武者をかばいながら、山本勘助は砦に戻った。
この2人が何をしたかったのかは全く謎だ。
その後、上杉軍からの申し入れで、静寂を破って一騎討ちへと戦局は展開していった。
一騎討ちの勝敗は武田軍1名、上杉軍は4名が勝ち、上杉軍の有利となった。
この戦いの後、山本勘助役は士道不心得者として降格となり、女性のガチ武者と交代した。
砦攻めという観点から考えると、上杉軍の魚鱗の陣形による1点集中攻撃で、武田軍の砦は馬出し口を破壊され防御力の一部が削がれてしまった。
何の作戦もなく砦を攻めるとやはり何倍もの兵力が必要となりそうだが、作戦を立てて攻めれば、何倍もの兵力は要らないのでは……というのが、今回の印象である。
ガチ甲冑合戦、翌日11月4日は、第四次川中島の合戦をテーマに志摩スペイン村で開催された。
志摩スペイン村の要望で、弓矢の攻防が不可であったのと、合戦エリアが狭く規制されたため、本格的な合戦の再現にはならなかったものの、槍による正面衝突の勝負や一騎討ちは行われた。
槍足軽による攻防は互角、武将たち(ガチ武者)による集団戦も互角となり、一騎討ちによる勝負は大将対決も行なわれ武田信玄、上杉謙信が槍を交えるというファンタジーな一戦となった。
結果は武田信玄が組討ちで勝って武田軍の勝利となった。
通常のガチ甲冑合戦と違い、今回の「砦攻め」では上杉方からは武田方の陣内が見えず、見えない砦内から武田方の槍兵たちが続々と出て陣形を形成してゆく様は、なかなか緊張感をかき立てられた。
また、竹などを使い作られた砦はかなり強固で、砦越しに置盾が倒れても砦自体が壊される事はなく、武田方にとっては非常に心強い支えであった。
今回の戦場では指揮官の声が届きにくく指示の伝令方法には課題が残り、当時の太鼓やほら貝、笛などの有用性を非常に感じた。
我々の「ガチ甲冑合戦」では、時代劇の殺陣や合戦祭りの寸劇とは違う、武術的、戦術的な観点でのリアルな合戦再現を行っています。
今回の、国際ガチ甲冑合戦 in 三重 も皆さんのおかげで大盛況で無事に終了することができました。
参戦、観戦、ともに本当にありがとうございました!